コービー・ブライアント NBAファンであれば一度は必ず耳にしたことのある名前だろう。
高卒ルーキーとしてロサンゼルス・レイカーズで20年近くプレーし、常に優勝争いを時代のスーパースターと繰り広げてきた歴代最高の選手の1人です。
Black Mamba(ブラックマンバ)の愛称で親しまれてきた男がいかにしてNBAの歴史に名を刻み、不慮の事故で死してなお現役NBAプレーヤー達に影響を与えているか、研究します。
基本情報
- 1978年8月23日~2020年1月26日(享年41歳)
- ペンシルベニア州フィラデルフィア出身
- 身長198cm、体重96kg
- 所属チーム: Los Angeles Lakers (1996-2016)
- ポジション: SG
- 愛称…ブラックマンバ
- 背番号…No.8 、 24 (どちらもロサンゼルス・レイカーズの永久欠番)
Career
数々の偉大な記録を築いてきたコービーのキャリアの代表的な受賞歴を振り返ります。
高卒18歳でドラフト1巡目指名によりロサンゼルス・レイカーズと契約して以来20年間一度も移籍することなくNBA史に名を残すレジェンドへと成長を遂げました。
- 5×NBAチャンピオン:2000, 2001, 2002, 2009, 2010
- 1×NBAシーズンMVP:2008
- 2×NBAファイナルMVP:2009, 2010
- 2×NBA得点王(1試合平均):2006 (35.4点), 2007 (31.6点)
- 4×年間最多得点:2003 (2,461), 2006 (2,832), 2007 (2,430), 2008 (2,323)
- 3×年間最多フィールドゴール成功:2003 (868回), 2006 (978回), 2007 (813回)
- 2×年間最多フリースロー成功:2006 (696回), 2007 (667回)
- オールNBAチーム
- 11×1stチーム:2002-2004, 2006-2013
- 2×2ndチーム:2000, 2001
- 2×3rdチーム:1999, 2005
- NBAオールディフェンシブチーム
- 9×1stチーム:2000, 2003, 2004, 2006-2011
- 3×2ndチーム:2001, 2002, 2012
- 18×NBAオールスターゲーム出場:1998, 2000-2016
- 4×NBAオールスターゲームMVP:2002, 2007, 2009,2011
- NBAオールルーキーチーム 2ndチーム:1997
- NBAスラムダンクコンテスト優勝 : 1997
- NBA 殿堂入り(2020)
Play Style
そのプレースタイルはまさしくマイケル・ジョーダンの後継者と呼ぶにふさわしく、ほとんどマイケル・ジョーダンのトレースと言っても過言ではないくらい洗練されたものになっています。
3pt、ミドルシュート、ストップ&ジャンプ、フェイドアウェイ、スラムダンク、そして相手エースを圧倒するディフェンス。全てを神の領域で行うコービーを止められる者はいませんでした。
試合の勝敗を分けるラストシュート(2点差以内で試合時間残り24秒以内に放ったシュート)の成功率は31.3%(36/115)と非常に高い水準でチーム勝利に貢献することのできるクラッチプレイヤーであることを証明し続けてきました。
相手を背にしながらボールを受け、左右にステップを刻み相手が守り切れなくなると一気に反転しゴールに一直線という華麗なフィニッシュを何度目にしたことでしょう。
あらゆるフィニッシュパターンを持つコービーを未だかつて完璧に抑え込んだディフェンダーはトニー・アレンくらいではないでしょうか?(本人も引退直前のインタビューで公言しています)
多彩なフィニッシュ、常に複数ある選択肢、抜群の視野、圧倒的な技術力、戦術理解力、どこを取っても一流のコービーがNBA最高の選手となるのは必然と言えます。
そんな彼のプレースタイルを最も良く解説している動画のリンクを貼っておきます。きっと改めて彼の凄さを理解できるでしょう。https://www.youtube.com/watch?v=yJTiL_Iil6k
Game by Game
数々の伝説を残したコービーのキャリアを語るにおいて避けられない名試合がいくつかありますが、その中で独断と偏見で選んだ4試合を振り返ります。
未だにどの試合を見ても熱くなれるくらいの名試合です。
2009年2月2日 ニックス戦 MSGで61得点
ニューヨーク・ニックスの本拠地、伝統ある ”マディソン スクエア ガーデン”(MSG)にてMSGレコードの1試合61得点を叩き出した試合です。31本中19本のシュートを決め、20本全てのフリースローを沈める大活躍をしました。見事にニックスファンをも総立ちさせ、MVPコールが沸き起こる61得点を記録しました。チームは126-117で勝ち、その内半分近くを一人だけで挙げていることは彼のスコアラーとしての能力の高さを証明する試合となりました。
余談ですが、MSGは世界でも最も熱く、厳しいバスケファンが集うニューヨーク・マンハッタンの中心街に位置する会場です。私自身何度か足を運び生でNBAを観たことがありますが、あの熱狂はぜひ世界中のNBAファンに体験して欲しいと思います。
2001年5月19日 スパーズ戦 西カンファレンス決勝第1戦 45得点
2001年ウェスタン・カンファレンス決勝の第1戦、スパーズのホームで45得点を記録しシリーズの流れを作り出した試合です。シリーズの単なる一戦ではなく、この試合からチームとして、個人としてより一層優勝に向けた集中力が高まった印象を受ける試合でした。最終的に、この年レイカーズは決勝でアレン・アイバーソン擁する76ersを破りNBAチャンピオンに輝いています。
前半で17得点と最初からアクセル全開で得点を決めていくコービーは、スパーズのツインタワーのダンカンとロビンソンを相手に軽々と何度もダンクを決め、勝利に貢献しました。(後半だけで5回も決めました)
当時、レイカーズにはシャックがエースとして君臨しており常に不仲説が流れていました。実際、彼らはバスケに対する考え方の違いにより意見が食い違うこともあったそうですが、お互いに実力を認めているからこそ好きにプレーできたのでしょう。当時コービーはあくまでシャックの二番手という扱いでしたが、この試合をきっかけにその立ち位置を大きく変えることに繋がったと今なら言えると思います。
2016年4月13日 ジャズ戦 引退試合で60得点
20年間の現役生活の最後の試合で、世界中にスーパースターたる所以を見せつけ改めてブラックマンバの実力を証明しました。現役最後の試合、ユタ・ジャズとの試合で大逆転劇を演出し見事に得点を量産。記録にも記憶にも残る伝説のラストダンスとなりました。
この試合でコービーは引退試合で50得点以上記録した唯一の選手となりました。
2006年1月22日 ラプターズ戦 81得点
世界中のコービーファンに聞いても必ず好きな試合のトップに上がるであろう、2006年のラプターズ戦はおそらく今後も破られることがない歴代2位となる81得点を叩き出した試合です。
対戦相手のラプターズは何人がかりになってもコービーを止めることができず、それどころかファウルしても止まらないラプターズにとっては悪夢の一日となりました。
1962年にウィルトチェンバレンが記録した1試合100得点には届かなかったものの、30点取ればオールスター級と呼ばれるNBAにおいてその2倍以上の81得点は試合結果だけ見た人からは信じられなかったことでしょう。
受け継がれるMamba Mentality
数々の伝説を残した男のキャリアにも終わりが来ます。コービーは引退後に様々なことに取り組みました。娘の所属するバスケチームのコーチ、絵本の執筆(後にNBA選手初のアカデミー賞受賞)、NBA選手への指導等が代表的な取り組みです。
バスケに対してそうしていたように、引退後の活動にも精力的に向き合い常に本気で取り組んでいました。
特にNBA選手達への指導においてはあまり公にはしていないものの、コービーの熱意、何事も徹底的に突き詰めるマンバメンタリティは確実に各選手に受け継がれていることでしょう。
最近のNBAは以前にも増して激しさ、真剣度がより一層上がったように感じています。
マンバメンタリティについてもっと知りたい方はこの本がおすすめです。
写真と共にコービーの言葉が綴られており、彼の思考をより深く知ることができます↓
突然すぎた死
2020年1月26日、世界中のバスケファンを驚愕させるニュースが飛び込んできました。
”コービーがヘリコプター事故で死亡”
最初は冗談だと思ってしまう程、突然の訃報でした。どうか嘘であって欲しいという願いも叶わず、バスケ界はレジェンドを1人失いました。
私自身未だに悲しみを克服できていないので、これ以上書き記すことはできません。
コービーのヘリコプター墜落事故に関する記事はこちらです。https://www.bbc.com/japanese/51275966
最後に
コービー・ブライアントという男について、彼のキャリア、プレイスタイル、名試合、後世に残したものについてご紹介しました。本記事で語りつくしたとは到底思えず、泣く泣くカットした部分も多くありました。私はコービーの試合を小学生の頃にステイプルズセンターで観戦したのを機に、それまで全く興味のなかったバスケに熱中するようになりました。
私の人生を変えるきっかけをくれたコービーは一生忘れられない人です。
“Heroes come and go, but Legends are forever”
コービーの残した名言の一つです。ヒーローは入れ替わるが、レジェンドは永遠に心に残る。という意味合いです。
私にとってヒーローでありレジェンドでもあるコービーを失ってからこの言葉が頭に浮かぶことが多くなりました。今後NBAにおいて多くのヒーローが生まれるでしょう。
それでも私にとってのレジェンドは後にも先にもコービーだけです。
この記事をきっかけにコービーについて少しでも興味を持たれた方はぜひ色々なニュース記事や動画を沢山見てください。どの場面を切り取っても常に本気のコービーが見える事でしょう。
R.I.P. Kobe Bryant
今後NBAがより日本で盛り上がり、1人でも多くのNBA選手が誕生することを祈って
Mamba Out
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