マイケル ジョーダンの背番号といえば23番です。ただ、彼のキャリアには45番をつけてコートに立っていた短い期間があります。そして45番から23番への変更をめぐっては、オーランド マジックとの因縁がからんだ有名な話がいくつも語られてきました。
今回のテーマは、45番で復帰したジョーダンがシリーズの途中で急に23番に戻した話です。そしてもう一つが、その翌年にマジックを相手に45得点を挙げて、最後のフリースローをわざと外して45という数字を残したという伝説です。この伝説はどこまでが記録で確かめられて、どこからが証言なのか。試合の数字と当時の報道をもとに、順番に整理していきます。
先に書いておくと、背番号の変更と45得点の試合そのものは記録に残っています。一方でフリースローをわざと外したという部分は、相手チームにいた選手の証言にもとづく話です。この線引きを意識しながら読んでもらえるとうれしいです。
そもそもジョーダンはなぜ45番をつけたのか
ジョーダンは1993年に一度目の引退を発表し、その後は野球に挑戦しました。1994年にはマイナーリーグのバーミングハム バロンズでプレーしています。このとき背負っていたのが45番です。
45番はもともと、ジョーダンがレイニー高校時代につけていた番号でもありました。さらに大きな理由として語られているのが、1993年7月に亡くなった父親の存在です。ジョーダンは自伝の中で、父親が最後に見た自分の背番号である23番で戻るのではなく、新しいスタートとして別の番号を選びたかったという趣旨のことを書いています。
一方で、ブルズはジョーダンの最初の引退のあとに23番を永久欠番にしていました。そのため、復帰したときに23番以外を選ぶのは自然な流れにも見えます。ただ、ジョーダン本人の言葉を読むと、単に欠番だったから使えなかったというより本人の気持ちとして45番を選んだという面が強かったようです。
永久欠番の仕組みそのものについては、NBA永久欠番まとめで詳しく書いています。欠番になった番号を本人が再び着るという今回のケースは、制度の面から見てもかなり珍しい出来事です。
1995年3月、45番での復帰
1995年3月18日、ジョーダンはI’m backという2語だけの短い声明を出して、NBAへの復帰を発表しました。今でもバスケ史に残る短い文章として、何度も取り上げられているものです。
復帰戦はその翌日、3月19日のインディアナ ペイサーズ戦でした。ジョーダンは45番をつけて先発し、19得点を記録しています。ただ、試合は延長の末にブルズが敗れました。約1年半のブランクを考えれば十分な数字ですが、全盛期を知るファンからすると少し物足りない内容だったのかもしれません。
とはいえ、45番のジョーダンがすぐに本領を発揮したのも事実です。復帰から間もない1995年3月28日、ジョーダンはマディソン スクエア ガーデンでのニックス戦で55得点を挙げました。この試合は45番時代を代表する名場面として、今も語り継がれています。
ニック アンダーソンのスティールと45番への一言
1995年のプレーオフで、ブルズはイースタン カンファレンス準決勝でマジックと対戦しました。マジックにはシャキール オニールやアンファニー ハーダウェイがいて、ホーレス グラントも加わっていました。
5月7日にオーランドで行われた第1戦は、ジョーダンにとって苦い試合になりました。ブルズが1点リードで迎えた終盤、ボールを持っていたジョーダンが背後からニック アンダーソンにボールをはたかれます。このスティールから速攻につながり、最後はグラントのダンクでマジックが逆転しました。試合は94対91でマジックが勝っています。
この試合のジョーダンは22本中8本のシュート成功で19得点、ターンオーバーは8つでした。数字を見ても、本来のジョーダンとはかなり違う内容です。
試合後、アンダーソンは記者に対して、45番は以前の23番のようには爆発しないという意味のことを話しました。復帰したジョーダンはもう昔のジョーダンではない、というニュアンスの発言です。相手の看板選手に向けてここまで言い切るのは、なかなか勇気のいることだったと思います。
第2戦で23番に戻した夜と罰金
そして5月10日の第2戦、ジョーダンは何の予告もなく23番のユニフォームで登場しました。この試合のジョーダンは38得点に4ブロックを記録しています。ブルズは104対94で勝ち、シリーズを1勝1敗のタイに戻しました。
当時ヘッドコーチだったフィル ジャクソンは、この背番号の変更について、もう昔の23番ではないと言われたことへのジョーダンなりの答えだったという見方を示しています。第1戦の内容と第2戦の内容を並べると、その見方にもうなずけます。
| 項目 | 1995年 第1戦 | 1995年 第2戦 |
|---|---|---|
| 日付 | 5月7日 | 5月10日 |
| 会場 | オーランド | オーランド |
| ジョーダンの背番号 | 45番 | 23番 |
| ジョーダンの得点 | 19得点 | 38得点 |
| 試合結果 | 94対91でマジックの勝利 | 104対94でブルズの勝利 |
ただ、この背番号の変更はリーグに事前に届け出られていませんでした。そのため、ブルズはNBAから2万5,000ドルの罰金を科されています。さらにジョーダンは、規定に合わない靴を履いていたとして5,000ドルの罰金も受けました。ジョーダンと靴の罰金といえば、エアジョーダン禁止と罰金伝説の真相でも調べましたが、ここでもまた靴の話が出てくるのは少し面白いところです。
ここで一つ押さえておきたいのは、23番に戻したあとにブルズがシリーズを勝ったわけではないということです。マジックはその後も勝ち星を重ね、5月18日にシカゴで行われた第6戦を108対102で制し、4勝2敗でシリーズを突破しました。23番に戻した第2戦は確かに圧巻でしたが、この年のジョーダンは最後まで無双したわけではありませんでした。
ちなみに、ジョーダンとマジックと背番号の組み合わせには、もう一つ有名な話があります。1990年2月14日のオーランドでの試合で、ジョーダンは23番のユニフォームを盗まれ、12番をつけて出場しました。その試合で49得点を挙げながら、ブルズは延長の末に135対129で敗れています。背番号の話になると、なぜかいつもマジックが相手にいるのが不思議です。
1996年の再戦と45得点
翌1995-96シーズン、ジョーダンは最初から23番でシーズンを戦いました。ブルズは72勝10敗という当時のNBA史上最高の成績を残し、プレーオフでもイースタン カンファレンス決勝で再びマジックと対戦することになります。
結果はブルズの4連勝でした。前年に敗れた相手を、今度は1勝もさせずに退けたことになります。マジックはこのシリーズの途中でアンダーソンが手首を痛めて離脱し、戦力が落ちた状態でもありました。
| 項目 | 1995年 | 1996年 |
|---|---|---|
| ラウンド | イースタン準決勝 | イースタン決勝 |
| ジョーダンの背番号 | 45番から途中で23番へ | 23番 |
| シリーズ結果 | マジックが4勝2敗 | ブルズが4勝0敗 |
| 決着の試合 | 第6戦 108対102でマジック | 第4戦 106対101でブルズ |
| 決着の試合のジョーダン | 敗退 | 45得点 |
そしてシリーズを決めた5月27日の第4戦、オーランドでの試合でジョーダンは45得点を挙げます。内容は23本中16本のシュート成功、3ポイントは4本中3本、フリースローは14本中10本でした。試合は106対101でブルズが勝っています。
前年に45番を挑発された相手のホームで、ちょうど45得点を挙げてシリーズを終わらせたことになります。この数字の一致だけでも十分に出来すぎた話です。そしてここから、最後のフリースローをめぐる伝説が生まれました。
フリースローをわざと外した話は本当なのか
この伝説の出どころとしてよく紹介されるのが、当時マジックの選手だったダレル アームストロングの証言です。アームストロングは2024年にポッドキャストに出演した際、この試合を振り返っています。
アームストロングの話によると、試合の終盤にジョーダンは2本のフリースローのうち1本目を決め、2本目をわざと外したそうです。その結果、スコアボードに表示されたジョーダンの得点がちょうど45になった、という内容です。前年にアンダーソンが45番をからかったことへの仕返しだったという見方も、この証言とセットで語られています。
では、これは事実として確かめられるのでしょうか。記録の面から言えるのは、この試合のジョーダンがフリースローを14本中10本決めて45得点だったということです。4本外しているので、終盤に1本を外したという話と記録が矛盾することはありません。
ただ、外したことが意図的だったかどうかは、ボックススコアからはわかりません。自分が調べた範囲では、ジョーダン本人がこの話を認めた記録も見つけられませんでした。なので、ここはジョーダンと戦ったアームストロングがそう証言している話として受け取るのが正確だと思います。
また、この伝説を紹介する記事の中には1996年のシリーズが6試合までもつれたと書いているものや、年をまちがえているものもありました。実際は1996年のシリーズはブルズの4連勝で、45得点の試合はその第4戦です。こういう話は広まるうちに細かいところがずれていくので、数字の部分だけでも記録で確かめておくと安心です。
それでも、この話がこれだけ長く語られているのは、ジョーダンならやりかねないと多くの人が思っているからでしょう。負けた相手の言葉をずっと覚えていて、次の機会に倍にして返すというエピソードは、ジョーダンには本当にたくさんあります。そういう人物像があるからこそ、45得点で終わったという偶然にも見える数字に、意味を読み取りたくなるのだと思います。
背番号そのもののルールについては、バスケの背番号ルールまとめも合わせて読んでもらうと、今回の背番号の変更がどれだけ異例だったかがよりわかると思います。
まとめ
ジョーダンは1995年3月に45番で復帰し、同じ年のマジックとのシリーズの第1戦でアンダーソンにボールを奪われ、45番は23番のようには爆発しないと言われました。第2戦では予告なしに23番に戻して38得点を挙げ、ブルズは罰金を科されています。ただ、その年のシリーズはマジックが4勝2敗で勝ちました。
翌年、23番のジョーダンはマジックを4連勝で下し、決着の第4戦で45得点を挙げました。最後のフリースローをわざと外して45を残したという部分は、相手チームにいたアームストロングの証言にもとづく話で、本人が認めた記録は見つかっていません。それでも、記録に残っている部分だけを並べても十分にドラマのある2年間だったと感じます。
伝説の真偽はジョーダン本人にしかわかりませんが、45と23という2つの数字にこれだけの物語が詰まっている選手は、ほかにいないと思います。
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