「NBA選手の6割は、引退して5年で破産する」——この数字、どこかで見たことはありませんか。
日本語の記事でも、NBA選手のお金の話になると必ずと言っていいほど出てきます。あれだけ稼いでいる人たちの6割が無一文になる、という落差がインパクトを持つからだと思います。
ただ、この数字の出どころを辿ったことがある人は、たぶんほとんどいません。今回は「60%」の元ネタまで遡って、研究者が実際に測った数字と並べてみました。結論から言うと、10倍ほど違いました。
「60%」が最初に出てきたのは2009年の記事だった
元ネタは、2009年3月23日号のSports Illustrated誌に掲載されたPablo S. Torre氏の記事「How (and Why) Athletes Go Broke」です。
この記事の冒頭に、2つの数字が並んでいます。
- NFL選手は、引退から2年で78%が破産または失業・離婚による経済的困窮に陥っている
- NBA選手は、引退から5年以内に推定60%が無一文になっている
記事が出た直後、著者本人がNPR(米公共ラジオ)のインタビューでも同じ数字を語っています。そこから一気に広まり、2012年のESPNのドキュメンタリー「Broke」などを経て、いまも引用され続けている、という流れです。
出典をたどると「推定」の一語しかなかった
ここが調べていていちばん驚いた部分です。原文の表現は「an estimated 60 percent」。日本語にすると「推定で60%」です。
そして、その推定が何に基づいているのかは、記事にも、著者のインタビューにも書かれていません。調査機関の名前も、サンプル数も、調査年も、集計方法も出てきません。英語版Wikipediaの整理では、この数字はもともと2008年に選手会関係者が口にしたものだとされていますが、いずれにしても査読を受けた研究でも、リーグの公式統計でもない、ということになります。
17年前の雑誌記事に出典なしで書かれた「推定値」が、いまだに事実として流通している。これが「60%」の正体でした。
研究者が測った数字は「6.1%」だった
では、きちんと測った数字はあるのか。あります。しかも最初に整備されたのはNFLのほうでした。
Kyle Carlson、Joshua Kim、Annamaria Lusardi、Colin F. Camererの4氏による研究「Bankruptcy Rates among NFL Players with Short-Lived Income Spikes」が、2015年のAmerican Economic Reviewに掲載されました。1996〜2003年にドラフトされた892人の収入データと、連邦破産裁判所の申請記録を突き合わせたものです。
そしてこの研究チームが所属するジョージ・ワシントン大学の金融リテラシー研究センター(GFLEC)は、同じ手法をNBAにも適用しています。暫定値として公表されているのが、次の数字です。
| 対象 | 期間 | 破産申請の割合 |
|---|---|---|
| NFL選手 | 引退から2年 | 1.9% |
| NFL選手 | 引退から12年 | 15.7% |
| NBA選手 | 引退から15年 | 6.1% |
NBA選手の破産率は、引退から15年で6.1%。破産に至るまでの平均は引退後7.3年で、対象選手のキャリア通算年俸の中央値は1267万ドルでした。
「5年で60%」と「15年で6.1%」。期間を3倍に伸ばしても、10分の1です。トップ選手の年俸の規模を見ていると6割という数字にも妙な説得力を感じてしまいますが、測定された数字はまったく別のところにありました。
それでも、破産した選手は確かにいる
6.1%は低い数字ですが、ゼロではありません。しかも破産した選手の顔ぶれを見ると、「稼げなかった選手」ではないところが怖いところです。
| 選手 | 推定生涯年俸 | 報じられた時期 | 報じられた内容・主な要因 |
|---|---|---|---|
| ジェイソン・キャフィー | 2900万ドル | 2007年 | 破産申請。多額の養育費 |
| ケニー・アンダーソン | 6300万ドル | 2005年 | 財政破綻。月4万ドル超の支出と離婚の清算 |
| エディ・カリー | 6000万ドル | 2009年 | 破産申請。高金利の借入と月3万ドルの住居費 |
| デリック・コールマン | 8700万ドル | 2010年 | 破産申請。不動産投資の失敗と浪費 |
| アントワン・ウォーカー | 1億800万ドル | 2010年 | 破産申請。不動産、取り巻き、ギャンブル |
| ラトレル・スプリーウェル | 9600万ドル | — | 自宅の差し押さえ、ヨットの回収 |
| ヴィン・ベイカー | 1億ドル超 | — | 財政破綻。引退後はスターバックスの店長研修へ |
1億ドル稼いだアントワン・ウォーカーは、引退の2年後に破産を申請しました。CNN Moneyの取材には「不況に巻き込まれた。未開発の不動産を大量に抱えていて、それがダメになった」と語っています。約20億円規模の負債は、ギャンブルよりも不動産事業の失敗が中心でした。
4度のオールスターに選ばれたヴィン・ベイカーも、13年のキャリアで1億ドル以上を稼いだあと、引退後にスターバックスの店長研修を受けていたことが報じられています。本人はアルコール依存と投資の失敗、そして「終わらない」と思い込んだことが原因だと振り返っています。
共通しているのは、年俸の多さではなく「出ていく仕組み」の複雑さです。不動産、取り巻き、養育費、離婚の清算。収入が止まった瞬間に、固定費だけが残ります。
「破産」と「お金に困る」は同じ意味ではない
では「60%」は完全なデマなのか。そこは少し慎重に見たほうがいいと思います。2つの数字は、測っているものが違うからです。
- Sports Illustratedが使った言葉は「broke」。お金に困っている、生活が苦しい、という状態を指します
- 研究が数えたのは「連邦破産法に基づく破産申請」。裁判所に記録が残る法的手続きです
破産を申請せずに資産を失う人、親族や取り巻きに流れて手元に残らない人、離婚で半分を失う人は、研究の数字には出てきません。だから「困っている元選手は実際には6.1%よりずっと多い」という主張自体は、おかしくないわけです。
問題は、その推測が「破産率60%」という確定した統計のような形で流通してしまったことです。「6割が破産する」と「引退後にお金で苦労する人は少なくない」は、まったく重さが違う文章です。
そしてNFLの研究が出した結論は、個人的にここがいちばん重いと思いました。年俸が高かった選手も、キャリアが長かった選手も、破産率はほとんど下がらなかったのです。論文は、1億円単位で収入が増えても破産リスクはわずかしか低下せず、「長く活躍して高給を得たことは、破産リスクに対してさほど防御にならない」と書いています。
マックス契約の上限がキャップの35%でも、キャリアが構造的に短命になりやすいこと自体は変わりません。稼いだ額と、それを守れるかどうかは、別の能力だということだと思います。
まとめ
- 「NBA選手の6割が引退5年で破産」は2009年のSports Illustrated記事が元ネタ。原文は「推定60%」で、根拠は示されていない
- GFLECの研究によるNBA選手の破産申請率は、引退から15年で6.1%。平均すると引退後7.3年で申請している
- NFLでは引退2年で1.9%、12年で15.7%(NBER/AER 2015)
- 「broke(お金に困る)」と「破産申請」は別の概念。前者のほうが人数は多いが、統計としては測られていない
- NFLの研究では、年俸の高さもキャリアの長さも破産リスクをほとんど下げなかった
個人的には、「60%」が独り歩きしたことで、本当に見るべき話が見えにくくなっていた気がします。6.1%でも決して小さい数字ではないし、何より「稼いだ額は守る力とは関係ない」という指摘のほうが、僕らの生活にも刺さる話です。
なお、リーグ側が用意している引退後の備えについては、NBAの年金制度(3年で受給資格、45歳から受給可能)の記事で労使協定の原文から整理しています。平均キャリア4.5年という短さとあわせて読むと、この制度の意味が少し違って見えてくると思います。

